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東京地方裁判所 昭和55年(ワ)1404号 判決

主文

一  原告らの請求をいずれも棄却する。

二  訴訟費用は原告らの負担とする。

事実

第一  当事者の求めた裁判

一  請求の趣旨

1  被告らは各自原告細田富雄に対し、金一六五五万四七一二円、同細田賢一郎及び同原みちるに対し各金一〇〇五万四七一二円、並びに右各金員に対する昭和五二年一一月五日から完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

2  被告らは各自原告らに対し金四三五万六〇〇〇円を支払え。

3  訴訟費用は被告らの負担とする。

4  仮執行宣言

二  請求の趣旨に対する答弁

主文同旨

第二  当事者の主張

一  請求原因

1  当事者

(一) 原告細田富雄(以下、「原告富雄」という。)は亡細田エツ(以下「エツ」という。)の夫であり、同細田賢一郎(以下「原告賢一郎」という。)はエツの長男、同原みちる(以下「原告みちる」という。)はエツの長女であり、いずれもエツの相続人である。

(二) 被告学校法人東京女子医科大学は、肩書地において付属施設として消化器病・早期癌センターなる病院(以下「被告大学病院」という。)を経営し、被告木下祐宏(以下「被告木下」という。)は被告大学病院に雇用され、同病院において外科を担当する医師であり、被告遠藤光夫(以下「被告遠藤」という。)は、エツの外科の診療業務を担当する通称遠藤班の代表者班長である医師であり、右被告木下は遠藤班の一員である。

2  診療の経緯

(一) エツは、昭和五二年六月一七日被告大学病院において、上腹部痛及び胃やけを訴え初めて診断を受けた。

(二) 右六月一七日、被告木下が診断を担当し、レントゲン撮影による胃透視を施し、その他検血、検尿、肝機能の諸検査も併せて行なったが、胃潰瘍の疑いはなかった。また、超音波検査をしたところ、腹部全体にガス像が多く胆嚢が中空像として得られず、像として胆石の有無は判定し難かったが、胆嚢の存在部あたりにやや強いエコーが認められ、胆石は否定できないと診断された。

(三) その後、エツは、同月二一日、二四日、七月一日、同月六日、同月一五日、同月二〇日、八月一二日と被告大学病院に通院しながら検査を受けた。その間、エツには三八度を超す発熱や上腹部痛があった。

(四)(1) 右諸検査、特にERCP(内視鏡的逆行性胆道膵管造影法。以下「ERCP」という。)により、胆管結石及び胆管狭窄と診断が決定され、併せて胆管癌の疑いもあるとの診断が下された。

(2) 右諸検査及び診断を専ら担当したのは被告遠藤及び被告木下であった。

(五) エツは、同年九月一日被告大学病院の癌センターに入院したが、三八度を超える発熱が続き、手術は九月八日に実施された。

(六) 術前PTC(経皮的経肝性胆道造影法。以下「PTC」という。)による胆道造影により総胆管癌と診断され、右同日開腹して癌として根治的に胆道胆嚢切除、膵頭部胆道周囲のナンバー一三のリンパ節を廓清した。

(七) 手術後、エツは同年一一月五日午後二時五五分死亡した。

3  エツの死亡原因

エツは、術後、腹膜炎、膵炎及び十二指腸潰瘍を患い、十二指腸潰瘍からの出血により、また、肺炎を併発して死亡したものである。

4  被告らの責任

被告らのエツに対する処置には、以下に記載するような診療契約上の不適切な措置または過失があり、被告らが適切な措置を講じていれば、エツの死の結果を回避することができたということができるから、エツの死亡は被告らの不適切な措置または過失に基づくものというべきであり、従って、被告らは、原告らに対して、債務不履行または不法行為に基づき、エツの死亡により生じた損害を賠償すべき義務がある。

(一) 手術前の処置

(1) ERCPの実施

PTC及びERCPの実施にあたっては、PTCを先にERCPを後にするべきであった。胆管の一部に狭窄がある場合、ERCPで造影剤を注入すると圧力がかかり、重篤な胆管炎や膵炎を起したり、逆行性胆道感染、胆汁性腹膜炎を起こす可能性があるので、胆管狭窄を起こしていたエツにERCPを先に実施すべきではなかった。また、ERCPを実施した際に、狭窄部を越えて造影剤を注入したため、エツは当初の手術予定日であった同年九月六日に発熱し、これが膵炎併発の一原因となった。

(2) 胆汁細胞診の不実施

被告木下が手術を急がず、術前に検査を重ね、特に癌の検査として最も重要かつ不可欠である胆汁細胞診(ERCPと同時に行い得る)を実施していれば、癌でないことを診断できたはずである。

(3) 諸検査の結果、特に黄疸が出ていないのに癌と診断した誤診

エツには胆管癌の三主徴である〈1〉腹痛、〈2〉黄疸、〈3〉体重減少のうち〈2〉、〈3〉の症状特に〈2〉の症状はみられず、エツが癌であると判断した被告木下の診断は明らかに誤診である。

(4) 手術を選択したことの誤り

エツの胆石症は黄疸を伴わない軽症のものでありすぐに手術が必要ではなかったのに、被告木下は必要のない手術を行った。

(二) 手術の術式の選択及び手術中の処置

(1) 術中生検の不実施

仮に、術前検査により癌の疑いが払拭できなかったとしても、開腹後、術中迅速標本検査(術中生検)を実施することにより癌でないとの確定診断が可能だったはずであるにもかかわらず、これを怠った。

(2) 手術方法の選択の誤り

被告らは胆管癌を前提としたために、総胆管空腸吻合術(Roux-Y吻合術。以下「本件術式」という。)という胆道狭窄の切除手術とはその程度、範囲、重大性、身体への危険性、手術の侵襲範囲も全く異なる術式を採用した。

仮に、被告らが癌を疑ったのがやむをえなかったとしても、そのための手術は膵内胆管癌の手術の術式として、膵頭十二指腸吻合術を採用すべきであった。

(3) 手術実施上の誤り

仮に、胆石症及び胆管狭窄の治療として本件術式が相当であったとしても、被告木下は膵内胆管全切除及び膵リンパ節廓清という余分な操作を誤って行なったため、腹膜炎、膵炎、十二指腸潰瘍を併発する結果となった。

(三) 術後の治療

(1) 術後膵炎の看過及び治療の不適切

エツは術後膵炎を起こしていたのに、被告木下がこれを看過し治療を怠ったため、膵炎が悪化した。しかも、膵炎は、絶対安静が必要であるにもかかわらず、被告木下が運動を強要したため膵炎がさらに悪化した。また膵炎を起こした場合には絶食をしなければならないのに、被告木下らは、右状態のエツに対し、一〇月二六日から極度に高カロリーであり、既に吐血したり、血便を排泄している患者に施用することが危険である「メディエフ」を腸に注入したため、エツの血圧は一八〇にまで上り、看護婦がこれに気付いて注意していたにもかかわらず、適切な処置を怠ったため、エツの十二指腸の動脈が切れ、エツは六〇〇〇ccの吐血をし、両足の大腿部動脈から一〇〇〇〇ccの輸血をする等の重体となり、十二指腸潰瘍が悪化するとともに衰弱が進んだ。

(2) トラジロールの使用

術後、エツの一般状態は著しく悪化し、悪寒、戦慄、発熱、悪心、嘔吐等があり、胸水もたまった。被告木下らは、エツが初診時に特異体質を告知していたにもかかわらず、同年一〇月二日ころアレルギー患者には施用注意となっている「トラジロール」を軽率にも注射したため、エツは呼吸困難等の副作用を併発して、ますます衰弱するとともに十二指腸潰瘍も悪化した。

(3) 腹膜炎の放置

九月一一日ころ、エツの腹部が膨らみ、腹膜炎が発生していた。腹膜炎に罹患すると化学療法では治癒せず、開腹手術が必要であるにもかかわらず、被告木下らは、右エツの腹膜炎を看過し、開腹手術を行わないままこれを放置したため、腹膜炎が悪化した。

(4) 人工呼吸の強行

エツには心電図をとるためポータブル心電機が病床に設置されていたが、右機械の乾電池が切れかかっていることをエツの親族らが指摘したにもかかわらず、被告らはこれを放置し、その結果、乾電池が切れて心電図が平行線を描くようになったのを見て、被告らは、右の心電図の表示が乾電池切れによるものであることに気付かず、人工呼吸を強力に繰返した。この結果、その二、三日前から人工補助肺を施用していたエツにおいて肺炎を併発した。

5  損害

原告らがエツの死亡により被った損害は次のとおりである。

(一) エツの損害

(1) エツの逸失利益

エツは死亡当時五三歳の主婦で、同女の平均賃金を東京都における産業、企業規模、男女及び年齢階級別給与額(常雇規模三〇人以上、全女子労働者、総産業、昭和五二年の平均)に求めると、決って支給する現金給与額が月額一五万一三〇〇円、年間賞与その他特別給与額が五三万二三〇〇円となり、年間合計金二三四万七九〇〇円となる。

エツの就業可能年数は一四年間であり、右期間中のエツの生活費は、右金額の四〇パーセントとみるのが相当であるから、以上を基礎としてエツの逸失利益の現価を新ホフマン式計算によって算定すると、合計金一四六六万四一三八円となる。

(2) 慰謝料

エツの精神的苦痛に対する慰謝料としては金五〇〇万円が相当である。

(3) 右(1)、(2)の合計金一九六六万四一三八円がエツの被った損害であるところ、原告らは相続分に従い、各自金六五五万四七一二円ずつこれを相続した。

(二) 原告らの固有の慰謝料

エツの死亡により被った精神的損害に対する慰謝料としては原告富雄につき金七〇〇万円、その余の原告らにつき各金三五〇万円とするのが相当である。

(三) 葬儀費用

原告富雄は、エツの葬儀費用として、金三〇〇万円を支出した。

(四) 弁護士費用

本件事件の弁護士費用総額金四三五万六〇〇〇円は、本件医療過誤事件と相当因果関係のある損害である。

6  よって、原告らは被告らに対し、債務不履行又は不法行為による損害賠償請求権に基づき、各自原告細田富雄に対し、金一六五五万四七一二円、同細田賢一郎及び同原みちるに対し各金一〇〇五万四七一二円、並びに右各金員に対する弁済期の後である昭和五二年一一月五日から完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金、並びに原告らに対して各自金四三五万六〇〇〇円の金員の支払を求める。

二  請求の原因に対する認否

1  請求原因1項の事実のうち、被告遠藤が通称遠藤班の代表者班長であるとの点は否認し、その余の事実は認める。

2  同2項の事実のうち、(一)の事実は認める。(二)の事実は認める(但し、検査は順次行われたので日を異にするものがある。)。(三)の事実は認める。(四)(1)の事実は認める。(四)(2)のうち被告遠藤については否認し、その余は認める。(五)の事実は認める。(六)の事実のうち総胆管癌と確定的に診断したとの点は否認し、その余は認める。(七)は認める。

3  同3項の事実は認める。

4  同4(被告の責任)項の被告の不適切な措置又は過失に関する原告らの主張事実は全て争う。被告の反論は以下のとおりである。

(一) 請求原因4(一)(1)(ERCPの実施)の主張について

ERCP、PTC共に検査から起こり得る合併症を常に考慮して検査を施行するが、ことにPTCにおいては、胆管内圧が高いため腹腔内へ胆汁がもれ、腹膜炎を起こす危険がある。腹膜炎を併発すれば、もれた胆汁を排除するために直ちに緊急手術を行わなければならないため、原則としてERCPを先に施行し、PTCはできるだけ手術の準備が整ってから施行するのが一般である。また、そもそもエツについてはERCPの副作用は出現していない。発熱はERCP検査後一週間経過した時点での発熱であり、造影剤注入が原因とは考えられない。エツは、これより以前の外来通院中から時々発熱を訴えている。

(二) 同4(一)(2)(胆汁細胞診の不実施)の主張について

胆汁細胞診検査においては、採取時粘液等が胆汁に混じ、採取した胆汁から細胞成分を集めるのが難しく、また胆汁等は消化液であるから流出した細胞をすぐ消化し破壊してしまうため癌細胞陽性と出た場合は格別、陰性と出た場合に癌がないと判断できない。昭和五二年当時被告大学病院においてPTC及びERCP検査を施行した際に胆汁を採取し、細胞診検査をした件数は三六件であり、うち二六件は陰性とでたが、その後他の検査によって癌と診断されたものが一九件あった。昭和五二年当時胆汁細胞診のみによっては癌でないことの確定診断はできなかった。

(三) 同4(一)(3)(黄疸が出ていないのに癌と誤診)の主張について

被告木下らは諸検査の結果癌の可能性があると診断したのであって、癌と断定した訳ではない。

また、黄疸は何らかの理由で胆汁が血液へ逆流したときに起こる症状であるが、黄疸指数のみで癌の診断はもとより、進行の程度及び手術の適応も決定できるものではない。黄疸が出なければあるいは、黄疸指数が低ければ癌を疑ってはならないとの原告の主張は癌の早期発見、治療を否定するものとして肯認し得ない。

(四) 同4(一)(4)(手術を選択したことの誤り)の主張について

エツの胆管狭窄はいずれにしても切除手術が必要なものであった。被告木下らはエツに生じる発熱も、狭窄部位を切除しなければ根治できないと考え、手術に踏み切ったものであり、その判断に誤りはない。

(五) 同4(二)(1)(術中生検の不実施)の主張について

原告らの主張事実のうち、術中生検を実施しなかったことは認めるが、その余は否認する。

仮に術中生検を実施し、標本として抽出された部分について癌の不存在が確認できたとしても、その周辺の抽出されなかった部分にも癌が不存在であると確定することはできないから、術中生検を実施しておればエツが癌でないとの確定診断が可能であったとはいえない。

(六) 同4(二)(2)(手術方法の選択の誤り)の主張事実のうち本件術式を採用したことは認め、その余は否認する。

胆管狭窄が癌によって起こったものであっても、瘢痕によって起こったものであっても、胆道の硬く狭くなった部分は切除しなければならず、その術式としては本件術式が適当である。

本件手術は、病巣部位の切除及び切除後の胆道再建のためのものであり、具体的には胆管狭窄部を胆嚢と共に切除し、リンパ節を廓清し、さらに胆管空腸Roux-Y吻合術を行ったものである。癌の疑いを捨てきれなかったため、リンパ節廓清を併せ行ったものである。

被告木下は、本件において、胆嚢管合流部を中心とする総胆管の中央部分に早期胆管癌の可能性ありと診断したものであって、膵内胆管癌を疑ってはいない。膵内胆管癌を前提とし膵頭十二指腸切除術を行うべきであったとする原告らの主張は失当である。

(七) 同4(二)(3)(手術実施上の誤り)の主張について

被告木下は、原告主張のごとき膵内胆管全切除は行っていない。確かに、エツの膵臓組織を二、三ミリ切除したが、瘢痕のため胆管部分と膵臓部分との判別が困難だったこと、症状の再発を防止するためには瘢痕のある部分全てを切除する必要があったこと、また手術後の炎症を防止するため瘢痕部分は全て切除し、正常部分で結紮・切断する必要があったことから、この程度の膵臓の切除は本件術式を施行するうえで止むを得ない措置であった。

また、リンパ節廓清については、不確実な術中生検の検査方法によって術式を決めるより、エツに癌の存在が疑われる以上、リンパ節廓清を行い、癌が進行することの危険を確実に除去することが治療として相当と判断したものである。

(八) 同4(三)(1)(術後膵炎の看過及び治療の不適切)の主張について

原告主張事実中、エツの術後膵炎を看過し治療を怠ったこと、エツに対し運動を強要したこと、メディエフを使用したこと、看護婦がエツの高血圧に気付いて注意していたにもかかわらず、これに適切な治療を怠ったことは否認し、その余の事実は認める。

被告が使用したのはエレメンタリーダイエット食「ED食」である。

(九) 同4(三)(2)(トラジロールの使用)の主張について

トラジロールを原告主張のころ注射したことは認め、その余は否認する。トラジロールは膵炎防止に有効な薬剤であり、術後膵炎を防止するために、被告木下は、エツに手術中からトラジロールを投与してきた。エツは第一回の使用に際してはトラジロールによるショックを起こしていないが、トラジロールは高蛋白質から形成されているため、一度これを使用すると抗体が生じ、再度の使用の際にショック症状を起こすことがあり、エツの場合二回目の使用の際にショックを起こしたものの、そのことをとらえてエツにトラジロールを使用した被告木下に過失があるとはいえない。

(一〇) 同4(三)(3)(腹膜炎の放置)の主張について

原告主張事実中、エツが腹膜炎に罹患したことは認め、その余は否認する。被告らは、エツの症状に併せて治療を行ったものであり、腹膜炎には必ず開腹手術が必要なわけではない。

(二) 同4(三)(4)(人工呼吸の強行)の主張について

原告主張事実はすべて否認する。

5  同5項は争う。

第三  証拠〈省略〉

理由

一  請求原因1(当事者)の事実は、被告遠藤が通称遠藤班の代表者班長であるとの点を除き、当事者間に争いがない。

二  請求原因2(診療の経緯)のうち、被告遠藤が専らエツの検査及び診断を担当したとの点及び総胆管癌と確定的に診断したとの点を除くその余の事実及び請求原因3の事実(エツの死亡原因)については、当事者間に争いがなく、右争いのない事実に、〈証拠〉を総合すると、エツの病状の推移と被告大学病院における措置は次のとおりであったことが認められる。

(なお、胆道は肝細胞から分泌された胆汁が十二指腸に流出するまでの全排泄経路をさすが、〈証拠〉によれば、胆外胆道系の区分法としては種々のものがある。一つは、胆外胆道を、左右肝臓から出ている左右の肝管、さらにその合流部から膵上縁までの胆道部分を二等分してそれぞれを上部及び中部胆管とし、膵上縁から十二指腸壁を貫通するまでの胆道部分を下部胆管(膵内胆管)として区分するものである。一つは、左右肝臓から出ている左右の肝管の合流部までを肝管とし、左右肝管の合流部から胆嚢管の合流部までを総肝管、それより下部の胆道を総胆管とするものである。以下、右各名称を適宜使用する。)

1  エツは、昭和五二年六月一七日、被告大学病院で心窩部痛(みぞおちの痛み)及び胸やけを主訴として初めて被告木下の診断を受けた。

被告大学病院の消化器外科における診療の方法としては一種のグループ診療が採用されており、一人の教授と何人かの医師が一グループを形成している。各グループは研究分野においては分かれているが、臨床上の差異はなく、当時、被告木下は遠藤教授のグループに属していたため、エツの診断には主に被告木下を中心とする遠藤グループが当たることになった。

2  被告木下は、エツの上腹部に何らかの疾患があると考え、血液検査、胃のレントゲン透視、胆嚢の検査を逐次実施していった。血液検査の結果によれば、エツの黄疸指数は正常値が一から六のところ、七とほぼ正常の範囲内にあったが、GOT(血液中の物質代謝酵素。特に肝臓に多い。)の数値が正常値が六から二五のところ九三、GPT(GOT類似の酵素)の数値が正常値一九までのところ一三六を示し、何らかの原因で肝臓細胞が障害されていることが判明した。

(また六月一七日に続いて、六月二四日、七月八日、七月二〇日と続けて血液検査を実施した。)

3  同年六月二七日、経口的な胆嚢造影X線検査を実施したが、胆嚢が写らなかった。

4  そこで、同年七月六日、さらに経静脈的な胆嚢造影検査(DIC)を実施したところ、総肝管に軽度の拡張が認められたが、これによっても胆嚢が写らず、胆嚢に何らかの変化があることがうかがえた。同日、超音波エコー検査も実施した。

5  八月三〇日には、内視鏡を、食道、胃を経過し十二指腸まで入れ、内視鏡の先端からシリコンのチューブを十二指腸に開口している乳頭部に挿入し、レントゲンに写る造影剤(ヨード剤)を注入してレントゲンで写真をとるERCPを実施した。その結果、本来ならまっすぐであるはずの総胆管の壁は湾曲し、胆嚢管の分岐部の辺りで胆管壁に不整があり、胆嚢は写っていなかった。

6  諸検査の結果、胆石、総胆管結石に起因する総胆管の高度の炎症性変化(狭窄)の存在が考えられたが、右のERCPの結果によれば、胆嚢癌の可能性も完全には否定できないと判断されたため、被告木下は、さらに検査をして手術の要否を判断するために、エツに入院を勧めた。

7  九月一日、エツは被告大学病院に入院し、二日には血液検査一般、尿検査、蛋白検査、肝機能検査、心電図検査、肺機能検査、超音波エコー検査を実施した。

8  入院二、三日後、遠藤班の医師等はエツの症状につき討議した結果、胆嚢、総胆管の造影検査の結果から胆道に狭窄があることが明らかで、結石も存在することが確実であり、胆道狭窄のため肝臓細胞に障害を起こしているので狭窄を取除く必要があると判断し、手術を決定した。入院後の諸検査及びERCPの検査結果を検討した結果、なお癌の可能性は否定できなかった。

9  第一回手術予定日は、九月六日であったが、エツに三八度の発熱があり、手術は延期された。

10  九月八日、手術直前に、肝臓に直接針を刺して肝臓の中の総胆管に造影剤を注入する方法であるPTCを実施した。PTCは危険をともなうため、手術前に実施するのが通常である。PTCの結果によれば、総胆管の胆嚢分岐点の辺りから同じ太さで十二指腸まで流れているはずの総胆管の一部に陰影欠損(狭窄部)と、胆管壁の不整が認められ、また、今までの検査では写らなかった胆嚢が不整形に写りかけていた。

11  手術は、九月八日、術者被告木下、助手に遠藤班医師林、吉田、野口、立会に遠藤班以外から胆道に関する研究発表を行っているグループの医師高田、同中村という構成で行われた。

(一)  エツを開腹すると、総胆管は正常ならば直径が五、六ミリから七、八ミリであるものが一センチメートル以上に拡張して壁が厚くなっており、他方胆嚢の頚部と胆嚢管は消退し、胆嚢底部と体部とは萎縮して、胆嚢と総胆管は一塊の硬い腫瘤状を呈していた。右腫瘤状のものを触診すると内部の結石に触れたので、被告木下らは一応総胆管結石によって長い間に腫瘤ができて塊を作ったものと診断し、患部の切除を進めることにしたが、患部を直接観察した結果によっても総胆管及び胆嚢癌の疑いを払拭することができなかった。

(二)  被告木下は、まず総胆管を胆嚢管の合流部の上で切断し、胆嚢を肝臓下面から剥離し、さらに総胆管を瘢痕のない、膵臓に入り込む部分で切断し、その間の総胆管及び胆嚢を切除した。結紮には膵臓炎を防止するため吸収性の糸を使用した。瘢痕のため胆管部分と膵臓部分との判別が困難であり、また、症状の再発を防止するとともに手術後の炎症を防止するため、被告木下は瘢痕部分は全て切除し、正常部分で結紮・切断しようとしたため、切除部分の中に膵臓の組織が二、三ミリないし五、六ミリ含まれていた。また、総胆管あるいは胆嚢管付近のリンパ腺に癌が移転している可能性のあることも考慮して、それらのリンパ腺も切除した。

(三)  その後、胆汁がうまく流れるように、切除した胆管のところと空腸とをつなぐRoux-Y吻合術なる再建手術を施し、胆汁が直接空腸に流れ込むようにし、更に縫合不全、狭窄を防止するために吻合部分にチューブを入れ腹壁から出すとともに、手術後の絶食時の栄養補給に備えてもう一本チューブを空腸に入れ他端を腹壁から出し固定した。

12  術後膵炎防止の有効な薬剤としてトラジロールがあるが、被告木下らは、エツに対しトラジロールを、手術中に、一回一五万単位を二回、手術終了後、一回二万五〇〇〇単位を二回、その後九日からは一回二万五〇〇〇単位を一日二回、一五日からは一回一万五〇〇〇単位を一日二回、一九日まで使用し、二〇日からはパイクロ2Aの投与に切換えた。なお、術後膵炎は、主として上腹部(胃、十二指腸、胆道)手術後に起こる合併症で、膵臓の酵素が賦活化し、食物の蛋白質ばかりか膵臓組織自体の蛋白質を溶解することによって発生し、これが進行すると膵臓壊死を起こすが、右トラジロール等の薬剤は膵臓酵素の賦活化を押さえることによって膵炎の発生を防止する働きをする。

13  手術後の病理組織標本検査により、エツに癌のなかったことが判明した。

14  手術後、九月二〇日ころまでのエツの経過は、腹部膨満、多少の発熱以外はほぼ順調であったが、二四日に黒色便が排出された。被告木下は右黒色便の原因が縫合不全、又は術後膵炎によるものか、又は手術侵襲又は手術侵襲に伴うショックによる潰瘍によるものなのか、あるいは手術中の出血が単に排出されたものなのか判断がつきかね、経過を見守った。

15  その後、九月二七日頃、被告木下は、エツの腹部に腫瘤が触れることを観察し、膵炎が悪化していることを疑い、同月三〇日再度トラジロールの投与を試みた。しかし、高蛋白質からなるトラジロールは、一旦これを使用した場合には体内に抗体ができ、再度使用するときにはショックをおこす可能性があったところ、再度トラジロールをエツに使用した際、エツに右ショックが現れ、トラジロールの再使用は不可能となった。

16  一〇月一日、胸部のレントゲンをとり、膵炎の一兆候である胸水を確認し、胸腔穿刺により三〇〇ccの胸水を吸引した。さらに、一〇月四日、エツはタール便を二回排出した。右タール便は、エツの腸管からかなり大量の出血があり、その血液が消化されて便として出てきたものと判断された。胸水の存在に加えて、タール便の排出により手術に伴う合併症の発生の疑いが更に強まり、潰瘍が腸管のどこかにでき、また、膵炎も進行していると考えられたので、当日膵臓の断層のレントゲン(CTスキャン)を撮影した結果、膵臓にかなりの肥厚を認め、膵炎を確認した。

17  膵炎に対しては、以前から使用を続けていたパイクロという酵素の賦活を阻止する薬の使用を続けるとともに、絶食をさせて経口によらない栄養補給を行い、安静にしてまず保存的治療に努めた。

また、潰瘍に対しては、止血剤を使用するとともに、腸管の粘膜の潰瘍に対し、抗潰瘍剤を投与した。

18  その後、一両日はエツの症状に特に変化はなかったが、六日に吐血したため、吐血量にみあう八〇〇ccの輸血を行い、七、八日にもまだ出血している模様であったので、再び二〇〇ccの輸血を行った。

19  一〇月一一日、内視鏡検査にて、十二指腸に多発する潰瘍の存在及びそこからのかなりの出血を認めた。出血が激しいため、膵炎の治療もかねて、十二指腸潰瘍の処置が必要であるとの判断のもとに再手術を行うことを決定し、当日、家族の了解を得た。

再手術は、原告側の希望により羽生教授が執刀し(被告木下は立会)、膵壊死と十二指腸潰瘍の出血に対する処置を目的として行われた。開腹すると膵炎により壊死した膵組織が溶解して膿瘍となっていたので、膿瘍を廃液したあと、その場所に廃液管(ドレーン)を入れるいわゆるドレナージ手術がなされた。膵組織に接した十二指腸に潰瘍が生じており、潰瘍は膵炎があるために二次的に発生したものと判断されたが、十二指腸潰瘍の手術を進めることは不可能な状態だったため、膿瘍のドレナージを行うことにより二次的な十二指腸潰瘍も自然治癒することを期待して、手術を終えた。

20  手術後は十二指腸潰瘍に対しては止血剤及び潰瘍の治療剤を投与し、全身状態の回復を待った。手術後約一週間から一〇日位のエツの全身状態はほとんど正常であった。しかし、一〇月一九日に再びタール便が出たことから、十二指腸潰瘍からの出血が再び始まったと判断されたため、潰瘍の治療剤及び胃酸の分泌を押さえる薬を投与した。また、手術のあと貧血もあったので、毎日少量の輸血をしながら体力の回復を図った。二六日からは第一回手術時に腸管の下の方に挿入してあったチューブから刺激の少ないED食(エレメンタルダイエット。腸管粘膜から吸収されるばかりとなった合成栄養素。)の投与を開始した。

21  一〇月三〇日までは特段の変化はなかったが、三一日に吐血と下血一〇〇〇ccあり、一一月一日午前二時までに二五五九cc、午前七時までに五七六二ccの吐下血があり、同日、血管造影をしたところ、胃、十二指腸動脈が切れていることを確認した。そこで、スポンゼル(止血作用を持つ繊維組織)を出血部位に注入し、止血を図った。その後出血はある程度おさまったが、二日には五八五cc、三日には一九二五ccの吐下血があった。そして同日午後二時、全身痙攣を起こし、四日から再び出血が次第に増加し、その間出血に対して輸血その他の措置を採ったものの、意識が次第に遠退き、人工呼吸を行ったが、五日午後二時五五分にエツは死亡した。死亡当時エツは、肺炎を併発し、腎不全を伴っていた。

以上の事実が認められ、右認定事実を覆すに足る証拠はない。

三  そこで、請求原因4(被告の責任)について判断する。

1  (一)(1)(ERCPの実施)の主張について

前記事実認定および〈証拠〉によれば、エツの死亡の原因は、術後膵炎の悪化にともなう膵臓壊死、十二指腸潰瘍の併発および潰瘍からの出血が直接のものであり、それに肺炎、腎不全が原因として加わったものと認められるところであり、前記認定の経過に照すと前記ERCP検査の実施とエツに膵炎が生じたこととの間に因果関係は認め難く、原告らのこの点に関する主張はその余を判断するまでもなく、理由がない。

2  (一)(2)(胆汁細胞診の不実施)について

原告らは被告木下が胆汁細胞診を実施しなかったために、エツが癌でないことの確定診断ができなかった旨主張し、証人佐々木英制も胆道癌の疑いのある場合には胆汁細胞診を実施すべき検査である旨証言する。しかし、〈証拠〉によれば、胆汁細胞診による診断の場合、胆汁細胞診により癌細胞が認められた場合には直ちに癌の診断を下すことができるが、胆道又は胆嚢に癌があっても癌細胞が発見されない場合も多くあり、また、癌細胞が発見されなかった場合でも他の検査により癌と診断されることがままあるのであるから、胆汁細胞診により癌細胞が発見されなかったことから直ちに癌ではないとの確定的な診断を行うことは困難であることが認められる。なるほど、〈証拠〉の部位別細胞診診断率によれば、胆管癌の診断率は七五パーセント、同じく〈証拠〉によれば、胆道癌のうち胆汁細胞診により癌と診断された確率は五〇パーセント、癌の可能性ありと判断されたものを含めると七五パーセントの確率であることが認められるが、この点を考慮しても、細胞診を実施したからといって、消極的に癌でないと確定することが困難である点を否定できないことに加えて被告木下らの手術前の検査が十分であったとの〈証拠〉のあることを考え併せると、胆汁細胞診を行わなかったために癌でないことの確定診断ができず、従って右細胞診を実施しなかった点について過失があるということはできないから、原告らの右主張は理由がない。

3  (一)(3)(誤診)の主張について

前記認定事実によれば、被告木下がエツが癌にかかっていると確定的に診断をした事実は認められず、胆管癌の疑いがあると診断したにすぎないことが認められるところ、〈証拠〉によっても、諸検査の結果からエツに癌(総胆管癌あるいは胆嚢癌。特に胆管癌)の疑いありと診断した被告木下の判断は、当時のエツの状況からみて相当であったことが認められる。ところで、〈証拠〉中には胆石を伴う胆管癌は非常に少ないとの供述部分があるが、確率が少なくとも胆石を伴う胆管癌が存在し得ることは〈証拠〉から明らかであり、胆石が存在するとの一事だけで癌の可能性を否定することはできないから、右供述も前記認定事実を左右するに足りない。

また原告らは、エツに胆管癌の三主徴である〈1〉腹痛、〈2〉黄疸、〈3〉体重減少のうち〈2〉、〈3〉の症状特に〈2〉の症状が出現していないことを理由に、癌の疑いありとした被告木下の診断は明らかに誤診であると主張するが、〈証拠〉によれば、癌がかなり進行すれば黄疸を伴うという意味で黄疸は癌の主徴の一つではあるが、黄疸を伴わない癌も実例としてあり、従って、黄疸は一つの参考資料ではあるが、決定的な判断材料とはなりえないことが認められるから、エツに黄疸がなかったことも前記認定を左右するものではない。よって、諸検査の結果、エツに癌の疑いありと診断したのは明らかな誤診であるとする原告らの主張は理由がない。

4  (一)(4)(手術を選択したことの誤り)の主張について

〈証拠〉によれば、エツの症状の程度及び検査結果から判断して、胆管の炎症が強く、癌でなかったとしても早急に手術する必要があったことが認められる。(〈証拠〉によれば胆管炎症状が強いものは早急に手術を行わねばならないとある。)なお、鑑定人佐々木英制の鑑定結果中には、発熱時にあえて急いで手術をする必要はなかったとの鑑定意見があるが、同人の証言中には、本件の場合、エツは軽い胆管炎を起こしていたのではないかと推定され、そのために(その原因除去のために)手術を急ぐという理由も成り立ち得る旨の供述部分があり、さらに、〈証拠〉中には、エツの三七、八度の発熱は、胆汁うっ滞に由来すると認められ、手術しなければ熱が下がらないとの判断から被告木下が手術を行ったと推認できる旨の供述部分があることを総合すると、被告木下が手術を選択したこと自体に過失があったと認めることはできない。

5  (二)(1)(術中生検の不実施)の主張について

〈証拠〉によれば、術中生検(手術中の迅速凍結切片による組織診断)は、術中の外科医がその時点での治療方法を決定するのに利用する組織診断であるが、〈証拠〉には、病巣が肉眼的にみて良性か悪性か判定不能な場合には積極的に術中生検を行うべきであるとの意見又は供述がある。しかし、〈証拠〉によれば、胆道は迅速標本で把握するのがもともと困難な臓器であるうえ、病的な変化が進んだ場合にはさらに病巣が良性か悪性かの判別が困難であること、証人の経験上、証人は肉眼的に見て明らかな癌が存在する場合には術中生検を行わず、肉眼的に正常か異常か判別が困難な初期段階においては、術中生検を実施することによって比較的正常細胞と癌細胞との区別が容易なので、判別のためにこれを行うこと、また証人は、病変がある程度進んで肉眼的に見て悪性腫瘍が疑われる段階になると適切な標本をとることが困難となるから、術中生検は行わないこと、最近は一般的に術中生検を行うようになっているが、昭和五二年当時、そこまでのコンセンサスはできていなかったこと(この点は、〈証拠〉によれば一九七八年(昭和五三年)から一九八〇年(昭和五五年)までの三年間に川崎医科大学附属病院臨床各科における術中迅速凍結切片診断の利用度が、一番高い内分泌外科で四九パーセント、その他の科においては二〇パーセント以下であるとの事実からも裏付けられる。)の各事実が認められ、また、〈証拠〉によると、限られた部分を早い時間で検査する術中生検による癌の判定は困難であり、当時、被告大学病院では術中生検に三〇分程時間を要したが、開腹後、手術途中で三〇分手術を中断することは危険性を伴うことの各事実が認められ、さらに、〈証拠〉によれば、慶応大学病院において一九七〇年(昭和四五年)から一九八一年(昭和五六年)までの一一年間になされた凍結迅速切片診断例二三七六例中、腫瘍性病変は一四四九例、そのうち、悪性は八五八例、良性は五九一例で、最終診断で良性の病変を悪性と判定したものが九例、最終診断で悪性の病変を迅速診断で良性と判定したものが三六例あった事実が認められ、悪性を良性と誤って判断した症例数に比べ、良性を悪性と誤診した症例数が多く、右検査法が必ずしも正確なものとはいい難いことが認められ、以上の認定事実に照すと、病巣が肉眼的にみて良性か悪性か判定不能な場合には積極的に術中生検を行うべきである旨の前記佐々木英制の鑑定意見又は供述が本件当時の医療常識を反映しているとは認め難く、むしろ前記認定事実に照すと、本件のような場合に術中生検を実施するか否かは医師の裁量の範囲に属する事柄であるというべきである。従って、この点に関する原告らの主張は理由がない。

6  (二)(2)(手術方法の選択の誤り)の主張について

〈証拠〉には、胆管狭窄部の範囲が長く、胆管を広範囲に切除する場合には、総胆管十二指腸吻合術ないし本件術式が採られる旨、良性胆管狭窄の治療術の中では本件術式が最も優れている旨の各記載があり、これによると、仮に胆管狭窄の手術を行うのであったとしても、当時の医療水準では本件術式が相当であったことが認められる。この点に関し、〈証拠〉中には、総胆管結石の場合は結石を出してTチューブドレナージを行うのが妥当との意見があるが、〈証拠〉中のエツの総胆管は腫瘤状に硬く瘢痕が生じており、Tチューブドレナージだけでは十分な治療方法となりえなかった旨の供述に照し、右佐々木鑑定人の意見が本件当時の医療常識であるとして直ちに採用することはできない。

また、前記認定事実によると、被告木下らはエツに中部胆管癌の疑いを抱いていた事実が認められるところ(膵内胆管癌を前提とする原告らの主張を認めるに足りる証拠はない。)、中部胆管癌の術式としては、〈証拠〉中には膵十二指腸切除術が相当である旨の意見があり、他方〈証拠〉には本件術式が相当であるとの供述又は記載があるところ、〈証拠〉を勘案すると、右見解の相異はそれぞれの立場の違いによるものであり、医学的にいずれか一方が誤りとは断定し難い。

よって、本件術式を採用したことが誤りであるとの原告らの主張は理由がない。

7(二)(3)(手術実施上の誤り)の主張について

まず、胆管切除の範囲であるが、前記認定事実によれば、被告木下が切除した胆道は胆管・胆嚢管合流部以下の中部胆管全部、膵内胆管(下部胆管)の一部であり(膵内胆管を全部切除したとの原告の主張を認めるに足る証拠はない。)、右膵内胆管一部切除にあたっては、膵臓組織を二、三ミリないし五、六ミリ切除したことが認められるが、〈証拠〉によれば、本件の場合、瘢痕のため胆管部分と膵臓部分との判別が困難であったこと、また、症状の再発を防止し、手術後の炎症を防止するために瘢痕部分は全て切除し、正常部分で結紮・切断する必要があったことから、この程度の膵臓の切除は本件術式を施行するうえで止むを得ない措置であったことが認められる。

また、リンパ節廓清については、前記のとおり、被告木下がエツに癌の可能性があると判断したことは相当と考えられるところ、前記認定事実及び被告木下本人尋問の結果によれば、被告木下は癌の疑いがあることを前提に、リンパ節廓清の治療を施したが、かかる治療は癌の疑いが存する以上妥当なものと認められる。

現在、癌については、絶対的な治療方法が確立しておらず、早期治療が最も有効な治療方法とされている以上、癌の可能性がある場合には積極的に疑わしい組織を切除する方法も広く採用されているところであり、右の方法を採用するか、あるいは癌の存否を十二分に調査して癌が存在することを確定した段階で治療を行うかの判断は、専ら専門家たる医師の裁量に委ねられるべきであると考えられる。

よって、癌の疑いがあることを理由にリンパ節廓清を行うかどうかは、担当医師の裁量に委ねられるべきで、かかる治療をもって過失があるとする原告らの主張は採用できない。

また、リンパ節廓清と術後膵炎との間に相当因果関係のあることを確定するに足りる証拠はない。

8  (三)(1)(術後膵炎の看過及び治療の不適切)の主張について

前記認定事実によればエツが術後膵炎を起こしていたことは明らかであり、〈証拠〉によれば、手術後の九月一二日から三八度以上の発熱と一万個以上の白血球の増多及び血清カリウムの低下があり、腹部所見で腸蠕動の減弱、腹部膨満の症状が強いことから、術後まもなく膵炎が起こり、さらに腹膜炎を併発したと推定されること、この病態が的確に把握された場合には運動と、経口摂取を禁止し、安静が必要であることが認められる。右事実によれば、昭和五二年一〇月一日より早くエツが膵炎であるとの確定診断をして早期に治療ができたのではないかとの疑いも生じ得るが、しかし、〈証拠〉によれば、一般に本件程度の開腹手術を行うと、術後に腸蠕動が減弱して腹部膨満が認められる場合が多く、また血中アミラーゼの上昇が九月九日に一過性かつ軽度に認められたのみであるので、術後膵炎の診断は、術後早期には極めて困難であったと認められ、これらの事実に照すと、被告らの前記認定の術後の管理と対応は、全体的にみて不適切であったとは断定しがたい。なお、エツに対するメディエフ投与の事実を認めるに足る証拠はない。

よって、この点に関する原告らの主張は理由がない。

9  (三)(2)(トラジロールの投与)の主張について

アレルギーとは、種々な物質の注射・摂取などにより抗体を産出したため体質が変化して、その物質に対し異常に過敏な反応を呈するに至ることをいい、ある特定の物質に対するアレルギーが存するからといって、他の全ての物質に過敏反応を起こすとは限らないことは明らかであり、前記認定事実によればエツに対しては膵炎防止のため手術中、手術後を通じてトラジロールが投与され、その使用によってもエツがショック症状等の過敏反応を示さなかったことが認められるから、特異体質であるエツにトラジロールを使用したことが誤りであるとの原告らの主張は理由がない。

前記認定事実によると、高蛋白質であるトラジロールを一度使用すると体内にトラジロールに対する抗体ができ、再度トラジロールを使用したときにショック症状が起きる可能性があるところ、被告らがこれを知りつつエツに再度トラジロールを使用した点につき、前記のとおり、トラジロールが膵炎に対して有効な薬剤であること及び再度使用しても必ずしもショック症状が起きるとは限らないのであるから、様子を見ながら再度トラジロールを使用し、ショック状態が発現しない場合はこれを膵炎の治療剤として使用することは相当な治療方法であると認められ、被告らがトラジロールを再度使用したというだけでこれを誤った治療方法ということはできない。

よって、この点に関する原告らの主張は理由がない。

10  (三)(3)(腹膜炎の治療の不実施)の主張について

前記8において認定したところによれば、エツの腹膜炎は術後膵炎に伴って発生したものと認められ、前述のとおり、術後膵炎に対する被告木下の治療が不適切なものと断定できない以上、これに付随すると認められる腹膜炎の治療に関しても同様不適切なものとまでは断定できない。なお、腹膜炎の治療には開腹手術が不可欠であるとの原告らの主張事実を認めるに足りる証拠はない。

11  (三)(4)(人工呼吸の強行)の主張について

原告ら主張の人工呼吸の施行とエツの死亡との間に相当因果関係が存在することを認めるに足りる証拠はない。

四  結論

以上の次第で、原告らの本訴請求はいずれも理由がないからこれを棄却し、訴訟費用の負担につき民訴法八九条、九三条を適用して、主文のとおり判決する。

(裁判長裁判官 渡辺剛男 裁判官 松本史郎 裁判官 猪俣和代)

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